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【重要】新型コロナウイルスの感染防止に向けた対応について

 現在、使用制限は解除されております。
 ご利用される際はマスクの着用、手指消毒の徹底、換気等を心がけてください。





東原庠舎の歴史について <クリックすると説明文へ飛びます。>


施設・設備


  • 宿泊定員・・・40名
  • 講堂・・・収容人員100名テレビ・ビデオ
  • 宿泊兼研修和室(北)27畳・・・洗面、浴室、トイレ
  • 宿泊兼研修和室(南)27畳・・・洗面、浴室、トイレ
  • 宿泊兼研修和室(茶室)12畳
  • 応接室※各室冷暖房完備
【パソコン機器等】
  • ノートパソコン
  • プロジェクター
  • 書画カメラ
  • レーザーポインター
 ※貸出を希望される方は多久市東原庠舎パソコン機器等利用申請書も合わせてご提出ください。
 ※ご利用申込の際は、必ず パソコン機器等の貸与に関する規程 をご確認ください。




利用時間


  • 宿泊しない場合・・・午前9時~22時
  • 宿泊する場合・・・午前9時~翌日9時(入浴は17時~21時まで)

  ※施設の予約状況につきましては、当財団に事前にご連絡いただきご確認ください。

 利用できない日
  • 毎週月曜日(月曜日が国民の祝日の場合はその翌日)
  • 8月14日~8月16日
  • 12月26日~翌年1月4日まで






使用料金


  • 当日前納(税込み)

区分

居住地域

宿泊研修料金

日帰研修料金

中学生以下

市内
市外

一人 310円
一人 520円

一人 110円
一人 110円

高校生

市内
市外

一人 520円
一人 1,050円

一人 220円
一人 220円

一般

市内
市外

一人 1,050円
一人 1,580円

一人 220円
一人 310円


食事の申込み(税込み)
三日前には人員を確認の上、事務局へ連絡する(当日変更不可)

食種

朝食

昼食

夕食

金額

600円

700円

900円

時間

7:30

12:00

18:00


  携帯品、その他
  • 洗面用具・タオル・ねまき・健康保険証
  • 使用料金。食費は当日前納してください。


施設利用案内


  利用できる人
  • 研修のため日帰り又は宿泊で利用する10名以上の団体
  • 児童生徒の場合、指導員の同行が必要
  • 幼児の場合、幼稚園・保育園等の教職員、保育士の同行が必要

  施設の予約状況はこちらをご覧ください。

禁止事項について


  東原庠舎における火気の使用は、火災の危険性を高めるとともに、利用者の安全を損なう恐れがあることから、火気の使用全般について規制することといたしますので、御協力をよろしくお願いします。

禁止行為となる火気の使用とは・・・
  • バーベキュー
  • 花火
  • たき火
  • 七輪

申込み方法


  下記の所定申込み用紙に記入し、メールまたはFAXにて申し込みください。
  詳しくは電話でお問い合わせください。
  • TEL:0952-75-5112
  • FAX:0952-75-5320
  • Mail:ko-si@po.taku.ne.jp      公益財団法人孔子の里 まで

 ※宿泊を希望される方は宿泊研修利用者名簿も合わせてご提出ください。
 ※ご利用申込の際は、必ず 東原庠舎利用についてのお願い をご確認ください。
 ※屋外での火気の使用は禁止とさせていただきます。




アクセス
  • 車・・・多久ICより車で20分。国道203号線(バイパス)を唐津方面へ2キロ行き、多久バス発着所を左折、3キロ南下し多久市立病院を通り過ぎ、突き当たって左折すると多久聖廟入り口にでる。(多久聖廟に隣接しておりますので、多久聖廟の看板を目印においでください。)
  • バス・・・☆多久バス発着所(多久駅)より武雄方面に乗り「本多久」下車、徒歩15分
  • バス・・・☆佐賀駅よりバスセンターより唐津行き高速バス利用、多久下車→タクシーにて3分
  • JR・・・☆唐津線多久駅下車→タクシーで約5分


東原庠舎To-gen-syo-sya

東原庠舎の成り立ち

孔子の里│多久聖廟 江戸時代、多久氏によって統治された多久邑(ゆう・村の意味)は山あいという土地柄本藩鍋島(なべしま)家の諸政策のために苦しい財政状況で、邑民の生活も極度に貧困でした。そんな時に多久家の4代邑主となったのが多久茂文(たくしげふみ)です。茂文は多久を治めるにあたり邑民の教育が何よりも必要だと考え、まず、元禄12年(1699)、邑校である東原庠舎の前身の学舎を完成させ、そこに孔子像を安置して学問に適した環境を整えました。

茂文が起こした東原庠舎は朱子学の学校で、明治になるまで、漢学や和学、武芸などの文武両道を教える場として重要な役割を果たしました。侍の子弟においては修学を相続の条件とするなど、子弟教育を第1にあげていますが、侍以外の者にも入学を許可していました。身分を問わず学問を志す者すべてを受けいれたことは、当時にあっては画期的であり、注目すべきことだといえます。そして多久は、いつしか学問の地、また昼夜とも明るい仙人の住む場所という意味の「丹邱(たんきゅう)」とまで言われ、その名は遠く江戸まで達するようになったのです。
茂文や東原庠舎の初代教授である川浪自安(かわなみじあん)らが基礎を築いた邑民教育政策は、次第にその成果を表しはじめ、幕末から明治にかけて、いよいよ開花していく事になりました。のちに我が国の電気工学の先駆者となる志田林三郎(しだりんざぶろう)をはじめ、明治刑法の草案者である鶴田斗南(つるだとなん)、微量天秤で学位を受けた飯盛挺蔵(いいもりていぞう)など、東原庠舎から日本の近代化や郷土のために尽くした人物が、数多く輩出しました。

現在の東原庠舎は、平成3年に学芸文化の研鑽振興を図るための宿泊型社会教育施設として、当時の面影を残しつつ現代風に再建された施設です。

学制(部分)

教官(職名)

学科目

就学・学令

入学時

日課

授業日数

生徒数(明治維新前)

学校経営経費

表彰

施設利用案内


学制(部分)

学問諸々の稽古事は人々一生の業にして、長幼の別はない。読書、習字その他若い時代に励み八から九歳になればその親兄弟より教訓して入学させ、若しその心掛け無く六芸に達しないような者は親兄弟迄も不忠不幸になるぞ。このことは兼ねて総領内の者へ云い聞かせて居り心得べき事。
右の条々かたく守る者也。 (領主名花押)

教官(職名)

『校長職』 文武方頭人(家老各一名)
『教授』 (一名)
『助教・教諭』 (二名)
『稽古指南役』 (八・九名)
但し、教授以下指南役以上定勤、日勤の別あり。

学科目

和漢学、筆通(書道)、和算、小笠原流礼容、兵法、弓術、馬術、槍術、剣術、火術。以上師範を立て教授した。
稽古場は、校内あるいは各師範の宅地内に置く。宅地内に設けても材木その他の費用は、総て邑費とし、兵法は師範の自宅にて教授、礼容は学校にて指導し、調馬術は学校内その外に一、二ヶ所を設け、火術は別に道場あり。

就学・学令

士族は八歳より二五歳までを学令とし、百姓、町人といえども学問に志す者は師範に申し出て学校道場に通うことを許した。就学上特筆されるのは、士族の子弟は二五歳までに文武の一つを修得しなければ家督相続が許されなかった

入学時

入学者には束脩の礼を行わせた。(入門するときに師にさしあげる贈物や礼金)
入学式には礼服を着て、指南役が引率し、聖廟に参拝した後、礼服のまま親戚同伴して師範の家を回礼した。但し、平民は平服の事。
入学者は先ずもって真実の志を立て師範の教えに背かず仁義忠孝の人になること。学問に差別なく、己を修め、人を治めることは万事の根源にして朱子学に極め置くこと。

日課

【寄宿舎生】
朝食 8時
晩飯 午後2時~4時
課業 午前6時~午前8時 10時―午後2時 午後5時―10時
【自宅生(通学生)】
課業 午前10時―正午 午後2時―5時

授業日数

年間 269日を定日とした。
休暇 毎月 1日と15日
五節句  盆祭り三が日
歳暮年始は12月26日より正月9日まで
寄宿生は父母のもとに帰る。

生徒数(明治維新前)

寄宿生 150名 (内校費生20名・自費生130名)
通学生 120名 計270名

学校経営経費

米、200石  これは学田及び寄付米その他
金、200両  これは積立金利子等歳入概算

聖廟及び学校修繕の用材及び薪木等は聖廟山の立木を以ってこれを弁ず。
聖廟及び学校に係る夫役(人夫)一切これを学田所在の白木村百姓に課す。

表彰

年間240日以上学校に出席した者には賞品として美濃紙一束、小筆一対、墨一個を与え、衆にすぐれ勉励するの者には美濃紙二束あるいは三束を与えて勧奨した。
武芸稽古年間100席以上の者に賞金を与え、文武抜群の者三人乃至五人宛、他国に遊学を命じ、費用は邑費又は学校より支弁された。

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